東京で店をするなら絶対、ラフォーレ原宿で

“東京で店をするなら絶対、ラフォーレ原宿で ”

アパレルブランドを1人で立上げた当初より、公言してきたことです。

誰しもが、なにか1つくらいは憧れを抱いた場所・店・ブランドなどありませんか?

まさにわたしにとってラフォーレがそれです。
憧れ続けた唯一無二のお城で、それ以外の場所に出店するならこんなご時世だし、店舗はなくていいとすら考えています。

時には別の場所から出店オファーを頂くこともあります。
ビジネス的に考えれば店舗数は増やすべきです。しかし、全部お断りしてきました。

普段は感情的に物事は判断しないようにしていますが、これだけは譲ることができませんでした。

これを譲ってしまうと、記憶の奥底にあるなにかが霞んでしまう感覚からです。

ここまで話すと必ず「なんでそこまでラフォーレにこだわるの?」と聞き返されます。
今日はその理由について綴ります٩( ‘ω’ )و


大阪生まれ、大阪育ち。
当時のわたしは上下灰色のスウェットを着用し、前髪はダッカールで留め、足元はキティさんの健康サンダルでキメるのが最高にイケてると思い込んでいる中学生でした。

暇さえあればドンキ前に座り込むか、ジャンカラ(カラオケ)に行く日々を過ごしていた頃に、わたしは嶽本野ばらさんの小説に出会いました。

彼の小説には度々、ラフォーレが登場します。
大阪から1歩も出たことはなく、無論東京にあるラフォーレなんて行ったこともない癖にわたしはなぜか小説の中でしか知らないラフォーレにひどく憧れを抱きました。

行こうと思えば、大阪と東京の距離ですから、憧れのラフォーレにいくことは物理的に可能です。
しかし、憧れる気持ちが大き過ぎて結局上京するまで足を運ぶことは一度もありませんでした。

月日は流れて…。
紆余曲折を経てアパレルをはじめ、ご縁あって憧れのラフォーレに自分のブランドをオープンしました。
それでも、未だに上京してはじめてラフォーレを見た時の衝撃を忘れられません。

ラフォーレの前の木は想像より大きくて、しばらく上を眺めたまま立ち尽くしていたので、周りから見ればわたしの姿は異様に映ったと思います。
館自体は想像よりコンパクトな印象をでした。でも、そこがまたしっくりきて感激したのを覚えています。

そのあと高揚した気持ちを抑えるため、今は閉店してしまったラフォーレ裏側に併設していたカフェに入りアイスコーヒーを注文した記憶があります。

実は未だに、その憧れのせいで自分の店が入っているにも関わらず、わたしはよっぽどのことがない限りラフォーレに入る時は正面入り口から入りません。
いや…正確には入れないのです、緊張して。
(なので、毎度ひっそりとした細い路地を抜けた先にある裏側から入ります)

原宿の街に当たり前のように佇み続ける、ラフォーレ原宿はわたしにとって、ずっと特別な存在でどこか胸の奥をざわつかせる存在なんだと思います。


金曜の夜だし(←?)
たまにはエモい記事を書きました٩( ‘ω’ )و
今年で40周年を迎えるラフォーレ原宿へ愛を込めて…💌